【交通の要所だった「松阪市」】
三重県松阪市は国内最古の土偶が出土した粥見井尻遺跡や日本最大の船形埴輪
を出土した宝塚古墳など古代から栄えていた地だったようです。奈良時代から平安時代にかけては奈良の都から伊勢神宮を結ぶ道が開かれ、のちの伊勢街道や伊勢本街道と呼ばれる奈良と伊勢を結ぶ街道へと発展していきました。戦国時代には蒲生氏郷により松阪に城が築かれ、伊勢街道が松阪を経由するようになりました。その後、街道の分岐する松阪は宿場町として栄え、現在でも松阪は交通の要所となっています。
そんな歴史を持つ松阪市ですが、今の人は松阪といえば「松阪牛」を思い浮かべるのではないでしょうか。
【松阪牛とは】
「松阪牛」は日本を代表するブランド牛です。松阪市飯南町深野には『松阪牛発祥地』の碑も建っています。この松阪牛ですが、どうして松阪で肥育されるようになったのでしょうか。「松阪牛」のふるさとは兵庫県の但馬地方です。現在では豊岡市や養父市、朝来市といった地域になります。当初は農業が盛んであった松阪地方では農機具等を引くなど力仕事を目的として特性のあった但馬地方の牛を役牛として導入していました。明治時代になると牛肉の需要が高まり、一般家庭にも普及すると農耕用であった牛を肉用に転換するようになりました。その後「松阪牛」は定義付けのように管理・肥育することにより日本を代表するブランド牛へとなりました。
現在では「松阪牛」は日本三大和牛の一つとして数えられ、「松阪牛」を管理する松阪牛協議会では「松阪牛」対して定義付けをし、条件を満たすことによってその品質を維持しています。
①黒毛和種、未経産の雌牛であること
②個体識別管理システムに登録されていること
③指定された生産区域での肥育期間が最長かつ最終であること
さらに特産松阪牛というものがあり、「松阪牛」の中でも、兵庫県産の子牛で指定された生産地域で900日以上肥育した牛でなければなりません。まさに究極の「松阪牛」です。